こんにちは。編集部の桜田です。
俳優の山本圭の妻で囲碁棋士の小川誠子(ともこ)さんが死去したことが報じられました。
享年68歳でした。
小川誠子さんの死因や若い頃や夫の山本圭さんについてもまとめます。
小川誠子さん(おがわ・ともこ=囲碁棋士六段)が15日、病気で死去した。68歳だった。日本棋院によると、通夜、葬儀の日程は未定。66年に木谷実九段に入門し、70年にプロ入り。女流本因坊、女流鶴聖などのタイトルを獲得して第一線で活躍する一方、長年にわたりNHK杯テレビ囲碁トーナメントの解説者の聞き手を務めた。
小川誠子さん死去、死因は?
囲碁棋士六段の小川誠さん15日、病気で死去したことが報じられました。
68歳という若さで旅立たれました。
死因は何だったのでしょうか?
病気という所までは伝えられていますが、病名は公表されていません。
持病があったかなどの情報もいまだわかりませんが、誠子さんは休局されている最中だったようです。
朝日新聞では次の通りに報じています。
66年に木谷実九段に入門し、70年にプロ入り。女流本因坊、女流鶴聖などのタイトルを獲得して第一線で活躍する一方、長年にわたりNHK杯テレビ囲碁トーナメントの解説者の聞き手を務めた。
小川誠子さんの若い頃は有名棋士と腕を磨く
小川誠子さんは昭和26年に東京の福井市で生まれました。
昭和65年の第7回全日本女流アマ選手権で優勝を掴み、翌年木谷実九段に弟子入りします。
その後実力を磨き、昭和45年19歳でプロとなりました。
若い頃は大竹英雄名誉碁聖や石田芳夫二十四世本因坊や武宮正樹九段から「ともちゃん」と親しくよばれており、おかっぱ姿で昭和の囲碁界を代表する棋士たちと日々腕を磨いたそうです。
昭和54年には第25期女流選手権戦で初タイトルを獲得し、翌年も連覇を達成。
昭和61年女流本因坊を獲得し、翌年62年には女流鶴聖戦を制しました。
小川誠子棋士は六段でNHKの囲碁番組の聞き手などで人気があったようです。
こちらのページから誠子さんの6歳の頃から~プロ~ご結婚~育児の事がわかります
https://www.wendy-net.com/nw/person/351.html
小川誠子さんは俳優山本圭さんの妻
昭和52年にお二人はご結婚されたんでしょうか?
写真の日付が1977年昭和52年の6月29日に撮影されたものです。
42年という、長い結婚を小川誠子さんと俳優山本圭さん歩まれてきたのですね。
俳優と棋士の馴れ初めはいったい何だったのでしょうか?
2018年にはご夫婦で徹子の部屋にも出演されていたそうです。
この頃のお写真では病気などしているようには全く見えませんでした。
山本圭さんのご趣味も囲碁だそうです。
お二人の間には34歳になられたくらいの娘さんが1人いらっしゃいます。
世間の反応
対局を休まれていて少し気になっていましたが、まさか急にこんな事があるなんて信じられません。心からご冥福をお祈りします。https://t.co/TuJps1fkzF
— 三村智保 (@igomimu) November 15, 2019
小川誠子さんのご冥福をお祈り申し上げます。囲碁将棋チャンネルのお好み対局でご指導頂いたことが懐かしいです。日本棋院の理事会でもご一緒させて頂きました。
いつも和かで優しそうな笑みを浮かべていて、とても好感が持てました。合掌
囲碁の小川誠子六段死去… https://t.co/xsEq979jAv
— 堀義人 (@YoshitoHori) November 15, 2019
囲碁を始めて1年くらいの頃、プロの先生と初めて碁を打ったのが小川誠子先生でした。当時二ケタ級でしたが、私が打った手をたくさん褒めてくださいました。忘れられない思い出です。ありがとうございました。あのとき打ち掛けでしたのでもう一度打ちたかったです。https://t.co/CmCZkd1gb4
— 清水善郎(よしろー) (@yoshiro_kaba) November 15, 2019
小川誠子さんの著書が見つかった。一つはエッセー集『囲碁つれづれくさ』で、おかっぱ本因坊と呼ばれた頃の写真も掲載されている。その変貌ぶりには目を見張るよりない。もう一冊は強豪アマ相手の置碁実戦譜。表紙右下が小川誠子さん、左上が小林千寿さん。30年以上前の写真だが、二人とも若く美しい。 pic.twitter.com/2hRYDHV2Cm
— 爛柯亭仙人 (@thx15) November 15, 2019
最後までお読みくださり、どうもありがとうございました。
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