【死因:呼吸不全】田口光久死去(元サッカー代表GK) とんねるずでの思い出動画


こんにちは。編集部の桜田です。

サッカー日本代表GKを務めた田口光久氏が12日、呼吸不全のため東京都内の病院で死去しました。
享年64歳でした。田口光久さんはとんねるずの番組で木梨憲武さんとPK対決のパートナーとしても知られていました。

その時のとんねるずの生でダラダラいかせての番組映像を振り返りたいと思います。


田口光久さん死去、死因は?

スポーツ報知では次の通り報じています。


サッカー日本代表GKを務めた田口光久氏が12日午前3時2分都内の病院で死去しました。
通夜は17日午後5時から、葬儀・告別式は18日午後1時からともに東京都新宿区上落合3の4の12、最勝寺会館で。喪主は長男直樹(なおき)氏。

秋田商高から73年に三菱重工(現J1浦和)入り。日本代表では75年に国際Aマッチに初選出され、通算59試合に出場(84失点)した。

引退後は日本テレビ系「とんねるずの生でダラダラいかせて」で木梨憲武のパートナーとしてゴールキーパーを務めて、サッカーファン以外にも親しまれた。

サッカー日本代表GKを務めた田口光久氏は12日の午前3時2分都内の病院で死去しました。

死因はいったい何だったのでしょうか?呼吸不全と報道されはいますが、その呼吸不全になる背景となった病気があると思うのですが、そこまでは詳しく報道がされていません。

最近ではめっきりメディアの前には登場していなかったようですが、64歳という早すぎる別れにご家族は勿論ファンの方は驚きを隠せないでしょう。

田口光久氏のサッカーの歴史(Wikipediaより)

秋田市立秋田商業高等学校卒業後の1973年に三菱重工サッカー部(現:浦和レッドダイヤモンズ)に入部。同年には日本ユース代表としてAFCユース選手権準優勝に貢献、翌1974年にもユース代表に選出され同大会に出場した。所属する三菱では正GKに横山謙三がいた為、出場機会に恵まれなかったが3年目の1975年にポジションを奪取。翌1976年には日本代表に選出された。代表でも正GKの座を確保する様になり国際Aマッチ59試合に出場。また1982年から1984年まで主将も務め低迷期の日本サッカーを支えた。

とんねるずの生でダラダラいかせてのPK対決動画

田口光久氏と言えば、テレビではとんねるずの生でダラダラいかせての番組内のコーナーで木梨憲武さんとPK対決のパートナーをしてた過去があります。

放送されていたのは、1991年から1993年頃にかけてでした。

かなり人気のコーナーでこのコーナーを見て田口光久氏を知った方や、とても真面目な方なのではという印象を持った方は多いのではないでしょうか?

世間の反応

なまだらの田口さん、懐かしいなぁ。
ご冥福をお祈り致します。

生ダラをリアルタイムで見てた者としてはかなりショックな訃報ですね。
ノリサンがPK職人と言われたのも田口さんとの名コンビがあってこそ。
まだ64歳なのに悲しいですね。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

古い話だか、不動のレギュラーだった横山から彗星のように現れてレギュラーを奪ったときは驚いた。それからはとんとん拍子に日本代表まで上り詰めた。これが世代交代なんだって思った。スーパーセーブを連発してたけどバラエティーに出たころはすっかり面影なかったな。本当にお疲れさまでした。今日はただただ寂しさがこみ上げてくる。合掌

最後までお読みくださり、どうもありがとうございました。
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