【死因は病気?】Wヤング平川幸男死去 歌手になるまでの経歴

こんにちは。編集部の桜田です。
吉本興業所属の漫才お笑いコンビお笑い「Wヤング」の愛称はダブヤンで知られる平川幸男さんが12日死去しました。享年78歳でした。

戦前に吉本の端席に出演していた万才の唄の家なり駒を叔父に持つ平川さんは芸歴が50年と本当に長く活動されていました。


Wヤングの平川幸男さん死去、死因は?

スポニチアネックスでは次の通りに報じています。

平川さんは2009年に芸能生活50周年、コンビ結成25周年記念イベントを開催。今年2月、左ひざの「左変形性膝関節症」、腰の「腰部脊柱管狭窄(きょうさく)症」と診断され、手術を行い、3月30日に退院。4月に仕事復帰していた。

 お笑いコンビ「おぼん・こぼん」のこぼん(70)は自身のツイッターで「朝早く関西の仲間から、Wヤング、ヤング平川さんの訃報が入ってきた」と報告。「ヤング中田さんは、野球賭博が原因で熱海、二見ヶ浦から飛び込み自ら命を絶った。元気な先輩でしたが、病には勝てず…合掌」と元メンバーの中田治雄さんについても触れ、訃報を伝えた。

Wヤングの平川幸男さんの死去にあたって、死因は何だったんでしょう?

11月上旬に入院してから昨夜11日に容体が急変してたとのことで、帰らぬ人となってしまいました。

現時点でどこの報道機関も死因については公表していません。

わかり次第、追記していきたいと思います。

2009年に芸能生活50周年を迎えた平川さんは、漫才コンビWヤングの結成25周年イベントを開催していました。

平川さんは、なんばグランド花月など定期公演でWヤングとして登場する時は「現役最高齢の吉本芸人」と称していました。

Wヤングの平川幸男さん歌手になるまでの経歴

平川幸男さんさんは兵庫県神戸市出身で生前、歌手としても活動されていました。

平川さんは元々歌手志望であり、鈴河政雄さんの元で弟子入り前は3年間歌手としての修業をしていたようです。

1973年に念願の歌手デビューを果たし、耐久カラオケのギネス記録保持者でもあります。

ヒット曲に「あゝ青森」があります。

曲ではないのですが「なかせてばかり」を発売した時メッセージ動画です。

平川幸男さんの音楽作品

人生花舞台/男太鼓 (1987年3月30日発売 アポロン AY07-60)
妹/夜の帝王 (1989年7月21日発売 キングレコード 064R-10063)
まとい精神/そんな大阪すきなんや (2000年11月18日発売 日本コロムビア CODA-1922)
ふとん太鼓 (2002年6月5日発売 フリーボード FBDX-1010) c/w「大阪いのち」は、八木光正&岡本あずさによる歌唱。
人情横丁法善寺/匠の詩 (2003年6月25日発売 フリーボード FBDX-1022)
泣かせてばかり/露地あざみ(2011年3月16日発売 よしもとミュージックエンタテインメント YRCN-90139 )
浪花の父子酒/昭和のメルヘン(2014年7月30日発売 日本クラウン CRCN-1807)平川幸男&秋岡秀治名義。親子でのデュエット。(ウィキペディアより)

世間の反応

最後までお読みくださり、どうもありがとうございました!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です