【死因:下咽頭がん】金野昭次死去(札幌五輪)スキージャンプ銀メダルオリンピックの経歴


こんにちは!編集部のさくらです!

1972年に開催された札幌オリンピックで、スキージャンプ70メートル級(ノーマルヒル)の競技で銀メダルを獲得した金野昭次さんが死去しました。享年75歳でした。

現役の頃の若い頃の金野昭次さんの写真


金野昭次(こんのあきつぐ)さん死去、死因は?

札幌出身の今野さんの死因は昨年、2018年に下咽頭がんが見つかり、闘病生活を送っていました。

札幌市内の病院で亡くなっています。

75歳でした。

金野昭次さんは北海道札幌市出身の元スキージャンプ選手で、ご自身の母方の血縁者に大倉山ジャンプ競技場初代のバッケンレコード保持者の浜謙二選手がいます。

北海道新聞では次の通りに報じています。

1972年札幌冬季五輪のスキー70メートル級ジャンプでメダルを独占した「日の丸飛行隊」の一員で、自身は銀メダルを獲得した金野昭次(こんの・あきつぐ)さんが5日、下咽頭がんのため札幌市内の病院で亡くなった。75歳。札幌市出身。葬儀は近親者で行った。

北海高から日本大に進学 66年に拓銀入行
 小学生の時にジャンプを始め、北海高から日本大に進学し、66年に拓銀に入行。68年グルノーブル冬季五輪に出場し70メートル級24位、90メートル級20位。72年の札幌大会では、70メートル級で優勝の笠谷幸生さん(76)、3位の青地清二さん(故人)とともにメダルを獲得した。71年の全国スキー選手権優勝などの功績により同年に北海道新聞スポーツ賞の本賞を、72年には同賞の特別賞を受賞した。

金野昭次さんオリンピックまでの経歴

金野さんは小学3年生の時にスキージャンプを始めました。

北海高校を卒業した後、日本大学に進学、同大スキー部の八木祐四郎監督から指導を受けるようになり、卒業後は北海道拓殖銀行に入社しました。

1968年グルノーブルオリンピックでオリンピックに初出場をはたしますが、、70m級で24位、90m級で20位に終わりました。

1972年の札幌オリンピックで2度目となるオリンピック出場を果たし、70メートル級(ノーマルヒル)で銀メダルを獲得しています。

この札幌オリンピックでは、

金メダルの笠谷幸生、

銅メダルの青地清二

と共に1位~3位を日本人3人で表彰台を独占し「日の丸飛行隊」と呼ばれました。

また日本人選手の中で一番初めに飛び、見事な大ジャンプを見せ「日本の切り込み隊長」とも呼ばれ、

この頃の金野のジャンプは小柄ながらサッツ(踏切)のキレが非常に良く、通称「カミソリサッツ」と呼ばれていました。

ネットの反応

金野昭次さんの訃報をうけて、ネットメディアではどんなことがつぶやかれているのでしょうか?

おそらく自分の中で最初にスポーツのテレビ中継を見た記憶が札幌五輪の日の丸飛行隊。
子供心にとても嬉しかったらしく、まだ幼稚園に入園する前だったのに、日記を書いて、その時の飛距離や得点まで記載していたのが今でも実家の押し入れに残っている。
五輪大好き人間となり、愛国心が芽生えたのもこの70m級純ジャンプがきっかけだったと言っても良い。

札幌五輪は、スキージャンプの日の丸飛行隊の活躍でもって、日本中を熱狂の渦に巻き込み、大いに盛り上がったと言っても過言でないと思います。子供心に夢中になってテレビをみていました。表彰台を独占したお三方の勇姿は、今でも目に焼き付いて離れません。輝かしい日本のスキージャンプの歴史の1ページです。
がんで闘病生活を送っていたとは存じ上げませんでした。75歳と言えば、今ではまだまだ若いと思われる方が多いかとも思いますが、長い間大変お疲れ様でした。ゆっくりとお休みください。合掌。

おそらく自分の中で最初にスポーツのテレビ中継を見た記憶が札幌五輪の日の丸飛行隊。
子供心にとても嬉しかったらしく、まだ幼稚園に入園する前だったのに、日記を書いて、その時の飛距離や得点まで記載していたのが今でも実家の押し入れに残っている。
五輪大好き人間となり、愛国心が芽生えたのもこの70m級純ジャンプがきっかけだったと言っても良い。

心から、ご冥福をお祈り申し上げます。

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