【死因は病気:肺がん】栗原玲児さん死去(栗原はるみ夫)若い頃やプロフィールは?


こんにちは編集部の桜田です。

 

料理家の栗原はるみさんの夫で実業の栗原玲児(くりはら・れいじ)さんが8月3日午後11時15分、肺がんのため死去しました。

 

85歳とのことで、葬儀・告別式は近親者で行ったようです。

 

スポニチでは次の通りに報じています。

 

歌手の坂本スミ子(82)と結婚したが、66年に離婚。73年に料理研究家の栗原はるみさん(72)と2度目の結婚をした。娘の栗原友(44)、息子の栗原心平(40)も料理研究家。
フジテレビ「スター千一夜」のインタビュアーとしても活躍した。

元NHKの西田善夫アナウンサー(2016年死去)はスポニチ本紙連載「我が道」で、聖学院高校時代について「2年生の11月、生徒会長に立候補した。当時は大学受験が厳しくなっており、立候補者が少なく、予定していた生徒が急きょ辞退し、先生に勧められて決めた。会長の前任者はやがてNHKのアナウンサーから民放に転じ『木島則夫モーニングショー』のアシスタントとして活躍した栗原玲児さんだった。栗原さんの演説は抜群で、批判的な生徒たちさえ拍手を送るほどだった。高校生の話術も今は変化しているが、高校生として栗原さんを超える話術を聞いたことはない」と話していた。


【死因は病気:肺がん】栗原玲児さん死去(栗原はるみ夫)闘病を振り返る

 

1964年4月にスタートし、ワイドショーの草分けとなったテレビ朝日「木島則夫モーニングショー」のサブ司会などを務めていた元キャスターの栗原玲児さんが死去しました。

 

栗原玲児さんは料理家で有名な栗原はるみさんの夫でも知られており、出版していた雑誌や本(栗原はるみ/haru_mi)などにご夫婦で写真が掲載されていたこともありました。

 

死因は3日午後11時15分に肺がんのため死去しました。

 

80歳の高齢になってもお元気だった玲児さんに肺がんが見つかったのは2018年の暮れのことだったようです。

 

若い頃からへビースモーカーだったことが原因となりました。

 

癌が見つかった際に主治医に余命は半年から1年と告知されたそうです。

 

その後、延命治療はせず、自宅で過ごされました。

 

これははるみさんと以前より約束していたことだったようで、どちらかが先に行くとしても住み慣れた自宅で過ごすことを選ばれたようです。

 

2階が玲児さんの寝室、1階ははるみさんがお仕事でお料理したり撮影したりの生活を送り、玲児さんの意思で病気(肺がん)のことは家族以外に誰にも伝えず、闘病を送っていたそうです。

(闘病生活:雑誌 harumi vol.54より)

 

栗原玲児さんの若い頃

 

栗原玲児さんははるみさんが料理愛好家となってからはテレビでの活動はしていなかったようですが、若い頃はタレント業やキャスター、司会者をしておりテレビ朝日の「モーニングショー」やフジテレビジョンの「スター千一夜」などに出演していました。

 

バラエティー番組での司会者としても活躍されていた時期もあるそうです。その若い頃の映像を入手することはできませんでした。

 

本当に写真画像がなかなか出てこない方という印象です。

 

1969年5月8日ラジオ関東に出演しているお若い頃の栗原玲児さんの声はこちらで聞くことができます。

 

本当にお優しい素敵な声の方で、アナウンサーやキャスターで司会をされていたのですね。

栗原玲児さんの学歴とプロフィール

栗原玲児さんは聖学院高等学校と慶應義塾大学を卒業されています。(高等学校では生徒会長を務めていたこともあったようです)

 

(出身大学情報:wikipedia)

 

NHKやテレビ朝日(旧NET)の「モーニングショー」のサブ司会者、フジテレビジョン「スター千一夜」のインタビュアーを担当したり、バラエティー番組や番組の司会者としても活躍されていました。

 

オートバイ愛好家で、ツーリング好きとしても知られており、カワサキのZIIなど大型バイクを愛車としていました。

 

妻である栗原はるみさんと喧嘩をした際に「バイクと一緒に寝たら」と言われたエピソードがあるくらいです。

 

そして玲児さんのご両親の情報は見つけられなかったのですが、はるみさんは純日本のご家庭で育ち、玲児さんは洋風なもの影響を受けて育ったことが推測できます。

 

はるみさんが26歳で結婚したばかりの時、玲児さんとの新婚生活がとても新鮮だだったと伝えられています。

 

はるみさんは東京に開店したばかりのアメリカ式のスーパーマーケットに玲児さんと一緒に行ったことがとても印象に残っているようです。

玲児さんは、はるみさんと2度目の結婚してからは芸能界の第一線を退いていました。

 

ちなみに妻のはるみさんに「社会に出てみなさい」とアドバイスし、料理家として世に出るように背中を押したのは夫の玲児さんだそうです。

 

妻のはるみさんと共に「株式会社ゆとりの空間」を主宰し、代表取役を務めていました。

坂本スミ子さんとの離婚理由にあらぬ噂

玲児さんの初婚は歌手の坂本スミ子さんでしたが、1966年に離婚。

 

この離婚した時の理由にあらぬ噂がたちち「栗原玲児がホモで男色趣味だった」という話がありましたが、1973年玲児さんはるみさんと結婚し栗原心平さんと栗原友さん2人の子供を授かっています。

どこから沸いた根も葉もない情報で「男色趣味」というのは全くの嘘だったということがわかります。

 

栗原はるみ徹子の部屋で玲児さんとの思い出を語る


2019年12月3日に妻の徹子の部屋に栗原はるみさんが出演しました。

 

生前玲児さんに大絶賛だった「ポテトサラダ」をスタジオへ。

 

はるみさんのエピソードから本当に仲の良いご夫婦だったことがわかりました。

 

栗原はるみさんにも作った料理がまずくなてしまった経験は多々あるようで、玲児さんは「君に不味いと言えるのは僕だけ」という話しや、はるみさんが海外旅行へ行くと「つまらない。さみしい」と言っていた話などからご夫婦の仲の良さが伝わりました。

 

徹子の部屋の出演ももっと早い時期に決まっていたそうですが、玲児さんの死去により12月に放送になったようです。

ネットの反応

 

この報道を受けてSNSサイトではどのような反応が起こっているのでしょうか?

 

ここ最近栗原はるみさんのインスタの更新が止まっていたので、何かあったのかと心配しておりましたが旦那様がお亡くなりになったのですね。
ご冥福をお祈り致します。

息子さんの心平さんの面影がお父さんに似ているので、時々お父さんはどうされているのかなと思っていました。以前、奥様のお料理が美味しいし、とても気に入っているから幸せだと話されていました。良いご夫婦だったのでしょう。寂しくなられましたね。お悔やみ申し上げます。

栗原はるみさんのレシピは、自分でも「作りたくなる」レシピが多くて、特に季刊の「haru – mi」や「わたしのいつものごはん」のものは、わが家の献立にしょっちゅう登場します。ご主人への愛情から生まれたレシピが多いようで、「はるみさんの御家族がうらやましい」といつも思っておりました。(自分もそうなれたらいい…)

心よりお悔やみ申し上げます。

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